スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

努力論という努力の放棄

―― 努力は必要か ――
Link:日本に蔓延する「努力教」 無理な努力は人を苦しめるだけ
努力しろと言う。
力を抜けという。
努力論を肯定する。
論に反発する。

どれもそう的外れなものではない。

エジソンは言った。『天才は1%のひらめきと99%の汗』と。
確かに才能は必須だろうが、努力なしには達成できないものが多いだろう。
努力が ――それが苦痛を含むかどうかは別として―― 目標まで届かせてくれる数少ない手段ということは変わりない。

拷問の一種にこんなものがある。完全に意味のない作業を繰り返させる。(例えば、土を掘り返してまた埋める。)
無意味な努力は心を壊し、資源を浪費させ、社会に害悪を撒き散らすものにしか過ぎない。

社会主義国家が軒並み倒れまくった理由には軍拡の負担に耐えられなかったことだけではない。
『努力してもしなくても同じ』という考え方が蔓延し、努力をしない人が増えたという面がある。

ニュースを思い出していると、根性論を持ち出して生徒を死なせた教員が多数いることに驚く。
努力したから死ぬとはなんともやりきれない。

―― 必要なのは「正しい努力」 ――
「全力でやれ」「すべて出し切れ」「倒れるまで頑張れ」なんていう言葉を吐く連中がいるらしい。
無論、この言葉は一面を取ってみれば正しい。
しかし、今直面している問題に対して、『努力しろ』とか、それに類する言葉で片付けるのは、努力を信仰しているようで、実は努力というものを最大限に汚し、仲間や社会に害毒を振りまいているだけではないだろうか?
つまるところ、彼らは何をすれば問題を解決できるのかを考える努力を放棄している。

危機に陥った部署が、『がんばれ』『努力しろ』の言葉だけで乗り切ろうとしたり、自分の出した課題が生徒にとって有効かどうかを考えず、ただ提出されたプリントの山を見て満足したりする、そういった行為が蔓延しているように感じる。
それが、バブル崩壊を始めとする経済危機によって『貧すれば鈍する』を体現したのか、もっと以前から日本に巣食う病巣なのか、若造である自分は知らない。
無根拠なる努力、結果に繋がる経路が考えられてない努力(別名デスマーチ)は、今、日本のありとあらゆる場所に見られ、それは第二次世界大戦前後に考え出された『無意味な作業の繰り返し』という拷問にそっくりになってきているのではなかろうか?
今の日本人が対拷問訓練を受けた軍人よりも拷問に強いという話は聞いたことがないので、鬱病が増えるのは当然だと思う。


本来、(やや広義の意味での)努力というのは、凡人たる自分たちにとって、数少ない武器ではないだろうか。
武器はよく研がれ、整備され、最大限に生かせるように管理される。
ならば、努力にしてもまずは効率のよい努力を考える努力をしたらいかが?















けど、俺はサボって寝るから。
みんな頑張ってね。
スポンサーサイト
プロフィール

える

Author:える
文理不明の生き物。
知識を食って生きてます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

目次
世界の民族一覧
- (試行版)
民族問題INDEX
- とある理系の民族問題

民族差別のテンプレート的言説


日本の歴史的地名
エジプトの簡易民族地理
サウジアラビア基礎情報
シリアの簡易民族地理


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


googleアドセンス

Amazon.co.jpアソシエイト
アフィリエイト・SEO対策
FC2レンタルサーバーLite

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。