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エジプト革命時系列(暫定)

2011年1月25日<怒りの日>
TwitterやSNSで計画されたデモが実行され、エジプト人は各所で一斉にデモを開始した。デモ隊は、24時間営業、特に夜にもデモをするという リンク戦術を取り、警察を疲弊させた。エジプト政府はTwitterやその他のSNSへの接続を遮断始めたが時期を逸していたために効果は薄かった。

2011年1月27日
警察や治安部隊は放水車、ゴム弾などを使用してデモ隊を制圧しようとしていたが、しびれを切らしたのか、警察が実弾発砲し、市民が死亡。しかし、その後デモ隊が一部都市を制圧した。
ネット上の抜け道があることを重要視したエジプト政府はネットをほぼ完全遮断。ほとんど全てのトラフィックが消滅した。また、エルバラダイ元IAEA事務局長がデモ隊に加わり、逮捕された。

2011年1月28日
ほぼ全 てのネット接続が遮断された。米国東部標準時で27日17:34分、国際標準時で27日22:34、現地時間で28日00:34、日本時間で28日 07:34 。ただし、Noor Group社だけは遮断されなかった模様。デモ隊は、ダイアルアップ回線などをの使われていなかったポートを利用し、細いながらもネット環境を維持し続け ていた。ネット遮断でもデモの勢いは止まらず、各所で警察との衝突が起こった。陸軍は態度を決めかね、地域や部隊によって対応が異なり、首都カイロでは警 察が市民を狙撃するのを妨害し、盾になっている部隊もあったが、スエズでは市民に発砲した部隊もあった。

2011年1月29日
ムバラク大統領は大統領就任以来初めての副大統領を置き、オマル・スレイマン情報庁長官を指名した。
また、ムバラク大統領がTVで演説するも、内閣を総辞職させる一方で、ムバラク大統領自身は職にとどまるという、民意を分からぬ姿勢に逆に火に油を注いだ。(アハメド・シャフィク前民間航空相をを新首相に指名。)
警察・治安部隊はカイロから半ば撤退し、民衆側に(消極的といえど)ついた陸軍がカイロを制圧しつつあった。

2011年1月30日
エジプト政府はアルジャジーラのカイロ支局閉鎖の活動を停止させ、放送取材許可を取り消した。しかし、アルジャジーラは報道を継続している。
野党と市民団体が、エルバラダイ氏に暫定政権を発足するよう声明を発表。
陸軍にデモ隊に発砲するよう命令が下されるも、陸軍はこれを拒否。
デモ隊はタフリール広場に集まり(15万人)、ムバラクの退陣を要求した。
その上を戦闘機(F16)が飛んで、デモ隊を威嚇するも、効果は無かった。

2011年1月31日
日本時間31日夜一時ごろエルバラダイ氏がタフリール広場に到着し、演説『新しい時代が始まりつつある。われわれの始めたことは後戻りできない』。これ以降、交渉の窓口はエルバラダイ氏が行う。

2011年2月2日<100万人行進>
呼びかけに応じた多くのエジプト市民がタヒリール広場に集まり、100万人行進と銘打たれたデモが始まった。
午前中は平和的なデモだったが、午後からは親ムバラク派が反ムバラク派を襲撃し、投石合戦となった。
(有名な駱駝騎兵も登場。)
日が落ちると、親ムバラク派は火炎瓶を持ち出し、辺りの建物は火がつき、一時はカイロ考古学博物館も全焼の危険性があった(軍が鎮火)。

2011年2月3日
前日から続く投石合戦は続いていた。ジャーナリストが親ムバラク派の襲撃される事件が多発。
スレイマン副大統領が国営放送を通じて演説するも、これまで提示してきたことと何ら変わらず、無駄に長いだけだった。

2011年2月4日<出発の日>
反ムバラク派と親ムバラク派の散発的な衝突はあったが、軍が間に入ることで大きな衝突は起こらなかった。
反ムバラク派はタヒリール広場に集まり、親ムバラク派はそれを囲うように陣取り、ジャーナリストがタヒリール広場に入ることを妨害していた。また、軍は、反ムバラク派がタヒリール広場に入ることを規制しようとしていた。
多くのジャーナリストが逮捕または襲撃された。

2011年2月5日
反ムバラク派と陸軍の緊張が高まるも、衝突はなかった。
この日、シナイのガスパイプラインが爆破された。


2011年2月6日
スレイマン副大統領と一部の反ムバラク派が会合をするも、大きな変化はなかった。

2011年2月7日
アルジャジーラの記者が再び拘束された。

2011年2月8日
エジプト当局が逮捕していたグーグルの幹部が解放された。

2011年2月10日
夜ごろ、オバマ大統領、ムバラク、スレイマン副大統領と、立て続けに演説が行われた。
事前にムバラク大統領が辞任するという噂が流れ、また、それを軍が肯定していた。
しかし、ムバラクは辞任を否定し、今まで通り9月まで大統領の座に就き続けると宣言し、タヒリール広場の歓喜は一転して怒号に変わった。
一部は宮殿に向かった集団もあったが、大半は明日のデモに備えてタヒリール広場に居続けた。


2011年2月11日<ムバラク辞任>
前日のムバラクの演説に失望させられたデモ隊は、今までに増してムバラク辞任を要求するようになった。
国営放送で軍最高評議会の会議の声明が放映。『軍はムバラク政権の抑止と監視の役割を果たす』
午後には、ムバラク大統領とその家族がカイロを脱出し、紅海沿岸の保養地シャルムエルシェイクに到着する。
夜ごろ、スレイマン副大統領が国営放送でムバラク辞任を発表。国政の権限は軍に移行。



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